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シャルル・デュトワ フィラデルフィア管弦楽団 徳永二男
ジュリアード弦楽四重奏団 ジュリアン・ラクリン パヴェル・ヴェルニコフ

出演者

シャルル・デュトワ(フィラデルフィア管弦楽団・首席指揮者)
Charles Dutoit,Chief Conductor of The Philadelphia Orchestra

スイス・ローザンヌ生まれ。ジュネーヴ、シエナ、ヴェニス、タングルウッドで音楽の研鑽を積んだ。タングルウッドではシャルル・ミュンシュに師事した。

現在フィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者であり、2009年からロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者、ヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督を務めるシャルル・デュトワは、世界の一流オーケストラを定期的に指揮している。1980年にフィラデルフィア管弦楽団にデビューして以来、毎シーズンにわたって、ボストン響、ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管、ロサンジェルス・フィル、シカゴ響、サンフランシスコ響、ピッツバーグ響、クリーヴランド管など、アメリカのすべての主要オーケストラに客演している。ヨーロッパにおいても、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管をはじめとするすべての一流オーケストラと定期的に演奏しているほか、イスラエル・フィルやNHK響、南米、オーストラリアの主要オーケストラにも招かれている。録音も幅広く行っており、デッカ、ドイツ・グラモフォン、EMI、フィリップス、CBS、エラートをはじめとするレーベルに様々なオーケストラと録音している。その数はこれまでに170を超え、その半数はモントリオール交響楽団とのものであり、40以上の賞に輝いている。

デュトワは1990年からサラトガ・パフォーミング・アーツ・センターにおけるフィラデルフィア管の夏季音楽祭の芸術監督兼首席指揮者を務め、2008年からフィラデルフィア管の首席指揮者に就任した。1990年から1999年にかけては、マン・センターでの夏のシリーズでも同オーケストラを指揮し、一連の録音でも共演した。
1977年から2002年までの25年間にわたり、モントリオール交響楽団の芸術監督を務めたほか、1991年から2001年まではフランス国立管弦楽団の音楽監督を務めている。1996年にはNHK交響楽団の首席指揮者、1998年には同オーケストラの音楽監督となり、2003年までその任にあった(現在は名誉音楽監督)。

20代前半でヘルベルト・フォン・カラヤンに招かれてウィーン国立歌劇場を指揮し、以来コヴェント・ガーデン王立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラを定期的に指揮している。また、ロサンジェルス・ミュージック・センター・オペラとブエノスアイレスのコロン劇場にも出演している。

マックギル大学、モントリオール大学、ラヴァル大学から名誉博士号を授与されている。カナダ・ミュージック・カウンシルは1982年に彼をミュージシャン・オブ・ザ・イヤーに選び、1988年にはカナダ・ミュージック・カウンシル憲章を贈った。1991年、フィラデルフィア市の名誉市民となり、1994年にはカナダ芸術連盟から名誉学位を授かった。1995年にはケベック州政府よりケベック勲章グランドフィシエを、1996年にはフランス政府より芸術文化勲章コマンドールを受勲した。また、カナダの最高の功労勲章である名誉オフィサー勲章を受けている。
歴史、考古学、政治学、芸術、建築への深い関心から世界中を旅して周り、これまでに世界のすべての国を訪れている。現在スイス、パリ、モントリオール、ブエノスアイレス、東京に住居を構えている。

フィラデルフィア管弦楽団
The Philadelphia Orchestra

1900年に創設されたフィラデルフィア管弦楽団は、一世紀以上にわたり優れた演奏、歴史的な海外ツアー、ベストセラー録音、そして録音技術やアウトリーチ活動における前例のない革新的活躍で、世界有数のオーケストラの地位を確立している。その歴史の中で迎えた音楽監督はわずか7名で、一貫した芸術的方針を維持してきた。この7名とは、 フリッツ・シール(1900-1907在任)、カール・ポーリヒ(1907-1912)、レオポルド・ストコフスキー(1912-1941)、ユージン・オーマンディ(1936-1980)、リッカルド・ムーティ(1980-1992)、ヴォルフガング・サヴァリッシュ(1993-2003)、クリストフ・エッシェンバッハ(2003-2008)である。

この豊かな伝統は、首席指揮者のシャルル・デュトワに受け継がれている。1980年に初めて指揮して以来、デュトワとフィラデルフィア管弦楽団は長年にわたって活動を共にしてきた。2008年に首席指揮者となった彼は、今後カーネギーホールでのコンサートをはじめ、ツアーなどでも指揮をする。また、毎年恒例となっているサラトガ・パフォーマンス・アーツ・センターでの3週間にわたるレジデンシーで、フィラデルデルフィア管の音楽監督兼首席指揮者を務めているほか、ブラヴォー!ヴェイル・バレー音楽祭のレジデンシーでも同オーケストラのコンサートを指揮する。

デュトワの首席指揮者2年目のシーズンのハイライトには、デュトワが4年をかけて取り組んでいるベルリオーズの作品の中から「テ・デウム」と「幻想交響曲」、さらにバーバーの生誕100周年記念公演が挙げられる。さらに任期中に“バレエ・リュス”の音楽を紹介していく予定で、2009/10年シーズンにはストラヴィンスキーの「ベトルーシュカ」と「春の祭典」を演奏する。

フィラデルフィア管はその歴史を通して、前例を見ないほど多数の世界初演、アメリカ初演を手掛けてきた。それらの作品には、バーバーのヴァイオリン協奏曲、マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」、ラフマニノフの交響的舞曲、シェーンベルク「グレの歌」、ストラヴィンスキー「春の祭典」などがある。
また輝かしいツアーの歴史も、多くの画期的出来事に彩られている。1936年にはアメリカのオーケストラとして初めてヨーロッパ大陸横断ツアーを行い、1949年にはイギリス・ツアーを行い、第二次世界大戦後に大西洋を渡った最初のアメリカのオーケストラとなった。さらに1973年、アメリカのオーケストラとして初めて中華人民共和国で演奏し、1999年にはやはりアメリカのオーケストラとして初めてベトナムを訪れた。

このほかにもフィラデルフィア管弦楽団には数々の「最初」の記録がある。電気的録音(1925年)、商業スポンサーをつけた専属ラジオ番組への出演(NBC放送、1929年)、映画サウンドトラックの演奏(パラマウント映画「The Big Broadcast of 1937」)、インターネットでコンサートのライブ・サイバー放送(1997年)などである。

この伝統はさらに、近年の電子メディアでの画期的活躍にも引き継がれている。フィラデルフィア管はメジャー・オーケストラとして初めて、インターネット2を通して巨大スクリーンを備えた複数の会場へコンサートの模様を同時中継したり、独自のオンライン・ミュージック・ストアwww.thephiladelphiaorchestra.comから、一般の人々が最近の演奏やアーカイブされた演奏を直接ダウンロードできるようにした。また、ナショナル・パブリック・ラジオとの年間契約によって「SymphonyCast」と「Performance Today」では同オーケストラの演奏を定期的に放送している。また、エッシェンバッハと共に同管はオンディーヌ・レコードとレコーディング・パートナーシップを結んだ。これまでにライブ・コンサートを収録した8つの録音がリリースされ、いずれも高く評価されている。

もうひとつ最近のハイライトとして挙げられるのが、1億2500万ドルの寄付キャンペーン「音、街、文明 (A Sound, A City, A Civilization)」である。アネンバーグ財団の5000万ドルをはじめとして、地域の人々から多額の寄付が寄せられ、オーケストラの基盤強化に貢献している。

フィラデルフィア管弦楽団は、年間300回以上のコンサートや、出版、録音、放送などを通して、毎年世界各地の100万人を超える音楽愛好家に演奏を届けている。例年9月から5月までの冬の定期公演シーズンはフィラデルフィアで演奏し、教育プログラムやコミュニティの共催プログラムがこれに加わる。またカーネギーホールで毎年コンサート・シリーズを開催するほか、ワシントンDCのジョン・F・ケネディー・センター・フォー・パフォーミング・アーツにも定期的に登場している。
例年3週間のツアーで世界各地を訪れている。夏にはフィラデルフィアのマン・センター・フォー・パフォーミング・アーツでの野外公演シーズンと地元での無料コンサートや、ブラヴォー!ヴェイル・バレー音楽祭のレジデンシー、ニューヨーク州北部のサラトガ・パフォーミング・アーツ・センターでの3週間のレジデンシーを行っている。

定期公演はキンメル・センター・フォー・パフォーミング・アーツ(KCPA)で開催されている。同センターには2つの公演スペースがあり、その一つはフィラデルフィア管のために設計・建築された2500席のヴェリゾン・ホール、もう一つは室内楽コンサート用の650席のペレルマン・シアターである。建築家ラファエル・ヴィニョリがアーテック・コンサルタント社の音響技師ラッセル・ジョンソンの協力を得て設計したキンメル・センターは、コンサート、録音、教育活動のための最新鋭設備が整っている。

KCPAと、フィラデルフィア管が101シーズンにわたって演奏した由緒あるアカデミー・オブ・ミュージックは、共に文化団体であるキンメル・センターInc.によって運営されている。アカデミー・オブ・ミュージックはフィラデルフィア管弦楽団協会が1957年から所有しており、毎年1月にはアカデミー・アニバーサリー・コンサートや舞踏会が開催され、多くの人々が楽しみにしている。

オフィシャル・ウェブサイト www.philorch.org.

徳永二男(ヴァイオリン)
Tsugio Tokunaga (Violin)

ヴァイオリニストの父茂および鷲見三郎氏に師事。桐朋学園にて、齋藤秀雄氏に師事。1966年、当時日本楽壇史上最年少のコンサートマスターとして東京交響楽団に入団。1968年、文化庁在外派遣研修生としてベルリンへ留学、ミシェル・シュヴァルベ氏に師事。1976年、NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。その後首席第一コンサートマスターを経て、ソロ・コンサートマスターの重責を担い、長年NHK交響楽団の“顔”として抜群の知名度と人気を誇る。
NHK交響楽団在籍時代よりヨーロッパ、アメリカ各地から招かれ、リサイタル及び協奏曲のソリストとして活躍が目立った。とりわけ、ケルンでの現代音楽祭参加、ベルリンの日独センター柿落とし公演でのヴォルフガング・.サヴァリッシュ氏との室内楽コンサート、ニューヨークのカーネギーホールでの室内楽コンサートツアーは、それぞれ絶賛を博した。

1994年にNHK交響楽団を退団し、ソロ、室内楽に専念。1995年からJTアートホール室内楽シリーズの音楽監督を、1996年からは宮崎国際音楽祭の総合プロデューサーを務めるなど、日本の室内楽の分野における中心的立場を確固たるものとしている。
ソリストとしても数多くのリサイタルを行い、近年は楽器の弾き比べなど、親しみやすいトークを交えた演奏会が、各方面から好評を博しているほか、2008年から10年にわたるリサイタル・シリーズに取り組み、大きな話題となっている。

CDは、ピアニスト・伊藤恵と共演したブラームスのヴァイオリン・ソナタのほか、音楽生活35年の集大成となるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲集や、パガニーニのカプリースなどがフォンテックからリリースされている。

現在、人気・実力ともに日本を代表するヴァイオリニストである。
国立音楽大学教授、桐朋学園大学特任教授、洗足学園大学客員教授。

ジュリアード弦楽四重奏団
Juilliard String Quartet

ジュリアード弦楽四重奏団はその明瞭な構成力、音色の美しさ、完璧なアンサンブル、卓越した統一感ある演奏で国際的な名声を獲得している。ベートーヴェン、シューベルト、バルトークからエリオット・カーターまで幅広いレパートリーを持ち、アメリカを代表する弦楽四重奏団として活躍している。
2009/10シーズンは第一ヴァイオリニストにニック・イーネットが就任し、主な活動としてダ・カメラ・オブ・ヒューストン、フィラデルフィア・チェンバー・ミュージック・ソサエティー、ボルティモアのシルバー・ホール・コンサート・シリーズ、ジュリアード音楽院等での演奏活動、日本とヨーロッパでのツアーが挙げられる。

近年はケネディ・センター、ウィーン・コンツェルトハウス、マドリッド・パラシオ・レアルでのコンサート、オーストラリア・ツアー、そしてパリ国立高等音楽院での2日間のレジデンシーとしてパリ・シテ・ドゥ・ラ・ミュジックで行ったコンサートなどに出演。エリオット・カーターの生誕100年を記念して特別プログラムを編成、ジュリアード音楽院でチャールズ・ナイディックと共にカーターのクラリネット五重奏曲を世界初演し、ベルリン・コンツェルトハウスで同作品のヨーロッパ初演も行った。また世界各地でカーターの弦楽四重奏曲第2番を演奏した。カーターの弦楽四重奏曲の熱心な推奨者として、彼の弦楽四重奏曲第1〜4番を録音、1991年にソニーからリリースされている。ジュリアード弦楽四重奏団結成60周年を記念したシーズンには、バルトークの弦楽四重奏曲全曲演奏会を全米主要都市や日本で開催(ジュリアード弦楽四重奏団は1948年にバルトークの弦楽四重奏曲全曲のアメリカ初演をタングルウッドで行っている)。結成60周年とショスタコーヴィチ生誕100周年を記念し、ソニーBMGマスターワークスよりショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第3・14・15番とピアノ五重奏曲(ピアノ=イェフィム・ブロンフマン)による2枚組のCDをリリースした。モーツァルトの生誕250周年には弦楽四重奏曲K.421、K.428、K.465をジュリアード音楽院に寄贈された初版の楽譜を使用して演奏した。このほか近年の活動としてディズニー・ホールのロサンゼルス・フィル主催の2回のコンサート、ジュリアード音楽院100周年を記念してュリアード弦楽四重奏団のために依嘱されたエゼキエル・ビニャオの弦楽四重奏曲U<The Loss and the Silence>の世界初演、世界各地でのバッハの「フーガの技法」の演奏等を行っている。

2003年にはライブラリー・オブ・コングレスのレジデント・クァルテット就任40周年を記念して、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲にこれまでジュリアード弦楽四重奏団が積極的に取り上げてきたアメリカの作曲家の作品を織り交ぜた12回の演奏会を行った。またニューヨークのアリス・タリー・ホール、東京のカザルス・ホ−ル、ミシガン州立大学、ドイツ・ボンの国際ベートーヴェン音楽祭、デュッセルドルフのトーンハレで7回にわたるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏会を行っている。

カーネギーホールではマウリツィオ・ポリーニの「パースペクティヴ」シリーズに出演、ピアノのマルタ・アルゲリッチと共演したほか、ホールの100周年記念ガラにも出演している。タングルウッドのセイジ・オザワ・ホールにも定期的に出演、ホールのオープニング・コンサートで演奏したほか、ホールの10周年を記念した録音にも参加している。日本の宮崎国際音楽祭やルツェルン音楽祭、フェルドキルヒのシューベルティアーデにも定期的に出演。クラシック界以外ではこれまでにガリソン・ケイラーのラジオ・バラエティー・ショー「Prairie Home Companion」に二度出演している。

ニューヨークのジュリアード音楽院を本拠地とするクァルテットとしてとして世界中の弦楽器奏者に多大な影響を与えている。アメリカの室内楽および器楽界でも長年重要な役割を果たし、アレクサンダー、アメリカン、コンコルド、エマーソン、ラ・サール、ニュー・ワールド、メンデルスゾーン、東京、ブレンターノ、ラーク、セント・ローレンス、上海、コロラド各弦楽四重奏団結成にも多大なる影響をもたらした。

1997年にはタングルウッドでジュリアード弦楽四重奏団の創始者で50年間第一ヴァイオリニストを務めたロバート・マンが引退、同シーズン初めにはミュージカル・アメリカ誌がジュリアード弦楽四重奏団を「ミュージシャンズ・オブ・ザ・イヤー」に選出、室内楽アンサンブルとして初めて同誌の表紙を飾った。

ジュリアード弦楽四重奏団は偉大な古典作品から今世紀の名作まで500作品に及ぶレパートリーを持ち、アメリカでバルトークの6つの弦楽四重奏曲全曲を演奏した初のアンサンブルとして知られている。またその活動を通じてアーノルト・シェーンベルクの弦楽四重奏曲を世に広めることにも貢献した。アメリカの現代作品の熱心な擁護者としても知られ、これまでに60以上のアメリカの作曲家の作品を初演、そのなかにはアメリカの超一流ジャズ・ミュージシャンの作品も含まれている。

ソニー・クラシカルとは1949年以来多岐にわたる録音プロジェクトを展開。創立50周年の年には過去の未発表録音や受賞盤からの名演奏を集録した7枚のCDをリリースした。これまでに100枚以上のCDをリリースしており、ジュリアード弦楽四重奏団は今日もっとも多くの録音を行った弦楽四重奏団のひとつとなっている。ベートーヴェン全集、シェーンベルク全集、ドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲集はグラミー賞を受賞。バルトーク全集では1986年に全米レコード芸術科学アカデミーに殿堂入り、1993年にはレコード業界へのその貢献に対しドイツ批評家賞を受賞した。1994年にはラヴェルとドビュッシー、デュティユーの弦楽四重奏曲のCDがロンドンのタイムズ紙によって過去のクラシック名盤100枚の一つに選ばれた。

ジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン/ヴィオラ)
Julian Rachlin (Violin/Viola)

ジュリアン・ラクリンの最初の一音はこの上なく洗練され、プラチナのような響きがする。このような抑制された名人芸を、そして,魅力あふれる演奏を聴くのはなんと気持ちの良いことだろうか。
ヒラリー・フィンチ、ザ・タイムズ

ラクリン氏は輝かしい最上級のテクニックを持っている。彼の演奏はスリリングなパッセージの演奏や、巧妙な音の色彩感を伴ったロマン派のヴィルトゥオーゾを思わせる。
ジェレミー・アイクラー、ニューヨーク・タイムズ


ジュリアン・ラクリンは最もカリスマに溢れ、活発な活動をしているヴァイオリニストのひとりである。世界のほぼ全ての主要オーケストラ、指揮者と共演し、そのパワフルで清新な演奏は高い評価を得ている。世界の主要ホールに何度も聴衆の足を向けさせ、その演奏から直ぐさま再来演の依頼をうけるほどである。その図り知れない才能により、クラシックの演奏家にとって最も栄誉ある賞のひとつとして知られる「キジアーナ音楽院」国際賞を受賞している。

これまでにウィーン・フィル、ロンドン響、ニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管、ロス・フィル、ピッツバーグ響、ドレスデン・シュターツカペレ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、ミュンヘン・フィル、スカラ座フィル、パリ管、フィルハーモニア管、サンフランシスコ響、サンクトペテルブルク・フィル、N響等とたびたび共演している。アシュケナージ、ブロムシュテット、チョン・ミュンフン、ハイティンク、ヤンソンス、レヴァイン、マゼール、マリナー、メータ、メニューイン、ノリントン、ペンデレツキ、プレヴィン、ロストロポーヴィッチ、ティルソン=トーマス、サロネン、ムーティ、サヴァリッシュなどトップクラスの指揮者のもと演奏をおこなっている。

2009−2010シーズンの主な活動としてロス・フィル、チェコ・フィル、BBCスコティッシュ響、サンタ・チェチーリア管、マーラー・チェンバー・オーケストラとの共演やラクリン自身の弾き振りによるアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズとのアメリカ・ツアー等があげられる。長年の共演者、ピアノのイタマール・ゴランとは世界中でリサイタルを行い、特にウィーンのムジークフェラインではベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会が予定されている。

2000年からはヴィオラの演奏も開始し、現在はヴィオラのための作品もレパートリーに収めている。室内楽も積極的に行い、デュオのパートナーであるイタマール・ゴランとは世界の主要コンサート・ホールでリサイタルを行ってきた。ザルツブルク、ヴェルビエ、シュレスビヒ=ホルシュタイン、BBCプロムス、ルツェルン等の数々のヨーロッパの音楽祭にも定期的に出演している。8年前からはクロアチアのドゥブロヴニクで自身の室内楽音楽祭(www.rachlinandfriends.com)を設立した。音楽祭は国際的な名声を急速に高め、レイフ・オヴェ・アンスネス、ジャニーヌ・ヤンセン、マキシム・ヴェンゲーロフ、ミッシャ・マイスキー、マーティン・フロスト、サー・ロジャー・ムーア、ジョン・マルコヴィッチ、クシストフ・ペンデレツキ、ダニエレ・ガッティ、ロイヤル・フィルハーモニー管らが参加している。

録音ではワーナー・クラシックスよりヤンソンス指揮バイエルン放送響とのブラームスとモーツァルトの3番の協奏曲やイタマール・ゴランとのヴァイオリンとヴィオラのための作品集(ショスタコーヴィチとベートーヴェン)がリリースされており、「これら2枚のCDを通じて彼の輝かしい演奏に完全に魅了された」(BBCミュージック・マガジン2005年9月)と評された。初期のレコーディングとしてソニー・クラシカルよりリリースされたマゼール指揮ピッツバーグ響とのシベリウスのヴァイオリン協奏曲とセレナード、メータ指揮イスラエル・フィルとのサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番とヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番、フェドセーエフ指揮モスクワ放送響とのプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番とチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲が挙げられる。2007年春にドイツ・グラモフォンよりミッシャ・マイスキー、今井信子とのJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲の弦楽三重奏版をリリースした。その後ラクリンはONYXクラシックとのコラボレーションを開始、2007年11月にミッシャ・マイスキー、ジャニーヌ・ヤンセン、ユーリ・バシュメット、イタマール・ゴランとショスタコーヴィチの室内楽作品集をウィーンのムジークフェラインでライブ録音し、リリースした。今後バイエルン放送響との共演によるヴィヴァルディ:四季とピアソラ:ブエノスアイレスの四季のCDのリリースが予定されている。

1974年リトアニア生まれ。1978年に音楽家の両親と共にオーストリアに移住。ウィーン音楽院で名教師ボリス・クシュニールのもとで研鑽をつみ、ピンカス・ズーカーマンの個人レッスンも受けた。1988年にアムステルダムのコンセルトヘボウで開催されたユーロビジョン・コンクールでヤング・ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー賞を受賞したのを機に国際的な注目を集め、ロリン・マゼールの招請によりフランス国立管との共演でベルリン音楽祭にデビュー、ピッツバーグ響とのヨーロッパおよび日本ツアーにも出演した。リッカルド・ムーティの指揮でウィーン・フィルに最年少でソリスト・デビューした。

1999年9月よりウィーン音楽院の教授に就任。使用楽器はアンジェリカ・プレコップ個人財団から貸与された1704年製ストラディヴァリ「ex Liebig」とオーストリア国立銀行より貸与された1741年製グァルネリ・デル・ジェズ「ex Carrodus」である。

http://www.julianrachlin.com

パヴェル・ヴェルニコフ(ヴァイオリン)
Pavel Vernikov(Violin)

ダヴィッド・オイストラフ、S.スニトコフスキーに師事したパヴェル・ヴェルニコフはヴァイオリンの名手として20年以上に渡って名声を博してきた。これまでにアムステルダムのコンセルトヘボウ、カーネギー・ホール、ケネディ・センター、ロンドンのウィグモア・ホール、パリのサル・ガボー、ミラノのスカラ座、ローマのサンタ・チェチーリア等の一流ホールに出演。またこれまでの共演者としてS.リヒテル、C.ツィマーマン、J.ゴールウェイ、C.イヴァルディ、A.ムニエ、P.ガロワ、M.ティーポ、N.グートマン、O.カガン、Y.バシュメット、E.ヴィルサラーゼ、A.ペイなどが挙げられる。ヴェルニコフはポルトグルアーロに高等教育用のロシア音楽アカデミーを設立した。またイタリア、フランス、フィンランド、スペイン、イスラエルなど世界各地でレッスンとマスタークラスを行うほか、国際コンクール(シゲテイ、クライスラー、グイ、ブタペスト)の審査員にも招かれている。CDはRCA、オンディーヌ、ダイナミックからリリースされている。使用楽器はミラノ・プロ・カナーレ財団所有のグァルネリ“Baron Knoop”(1743年ヴェネツィア)である。現在ウィーン国立音楽大学にて後進の指導を行っている。

※ 第2回(2009)及び第3回(2010)ミュージック・アカデミーinみやざき講師

その他の出演者

宮崎国際音楽祭室内楽合奏団(演奏会[3][4][5]メンバー  50音順)

※演奏会ごとにメンバーが異なります。

ヴァイオリン 荒井章乃/磯絵里子/伊藤亮太郎/漆原朝子/漆原啓子/扇谷泰朋/
川田知子//鈴木加寿美/橋和貴/徳永希和子/
徳永二男/鳩山曜子/本田早美花/松本蘭/三浦彰広
ヴィオラ 安藤裕子/安保恵麻/大野かおる/川ア和憲/川崎雅夫/須田祥子/
直江智沙子/柳瀬省太
チェロ 荒庸子/上村昇/古川展生/山本裕康
コントラバス 赤池光治/永島義男
フルート 高木綾子/曳地まり/宮崎由美香
オーボエ 多田敦美/古部賢一/森枝繭子
クラリネット 濱ア由紀/三界秀実
ファゴット 黒木綾子/佐藤由起/吉田将
ホルン 松ア裕/山本真
トランペット 高橋敦/中山隆崇
パーカッション 百瀬和紀
チェンバロ 曽根麻矢子