ぷれぽ

【ぷれぽ】本番の様子をレポート!演奏会〔3〕巨匠と若き後継者「大いなる歓びへの賛歌」

更新日:2019年05月14日

 5月12日(日)、母の日。音楽祭のこの日のコンサートを毎年、母の日のプレゼントにしてくださっているお客様と、それに行くために健康でいようと思っているお母様の、「元気をもらっています」と書かれたアンケートを読んで、私達もまた元気をいただきました。そんな日に開催された演奏会〔3〕巨匠と若き後継者「大いなる歓びへの賛歌」は、あたたかい家族のようなモーツァルトと、様々な声が交わり響き合うマーラーとで、多様な幸せのカタチに想いを馳せる好対照なプログラムでした。

 

 前半のモーツァルト、お揃いのような出立ちで登場したヴィオラのズーカーマンさんとヴァイオリンの三浦文彰さん。コンサートマスターの三浦章宏さんとそれぞれ握手をするのですが、文彰さんはお父様との握手がちょっと照れくさいのか、少しぶっきらぼうな感じで握手するように見えたのが逆に、なんだかとても家族らしくて親密な感じがしてホッコリした気持ちに。

 演奏が始まると、ソリストもオーケストラも当然のように素晴らしいのですが、なにより節節に垣間見える奏者たちの笑顔や、音楽の会話を楽しむ仕草、表情が最高でした。あたかも二人の偉大な「父親」に挟まれたかのような文彰さん、音楽祭でもその演奏を聴いてファンになるお客様が日に日に増えていくのがアンケートからも窺え、ああ、そういう星の下に生まれ、これからますます活躍されて、音楽界を牽引していってくれる人なのだろうなー、という感慨が湧きました。

 そして彼と二人の「父」を包み込むオケの雰囲気、これがまた、とってもあたたかいのです。この宮崎の土地で長く育んできた彼らの信頼関係が伝わってくるようで、まるで一つの大家族を見ているような気持ちになりました。「モーツァルトって、こういう演奏で聴きたいよなあ」と、決してそういうこだわりがあったわけではないのに、聴いた後で、なぜかそう思うような演奏でした。思えばモーツァルトこそ、父と二人三脚というイメージありますしね。演奏が終わると、鳴り止まない拍手に、ブラボーだけでなく、バルコニー席にもスタンディングオベーションのお客様が見えたほど。

 後半のマーラーは、編成が大きくなり、オケの中には色とりどりの素敵なドレスをまとった女性奏者も増えて、ちょうどそんなカラフルな光景と呼応するかのように、音色のパレットも格段に拡充され、様々な楽器の声(音色)がホールに響きわたりました。これを新鮮な喜びと感じてくださったお客様も多かったようで、「今日の演奏を聴いてマーラーを好きになった」というアンケートもたくさんいただきました。

 しかしこれも、良いオケと良いホールがあってこそ味わえるもの。マーラーのような多様で複雑な、まるで現代の社会を反映するかのような様々な声が響き渡る世界では、ともするとそれぞれが喧嘩しあってグシャっとした雑音にもなりかねません。でもここでは一つ一つの声を発する奏者が、自らよって立つ確かな技に自信と誇りをもって、他の奏者の声に敬意をもって語りかける様子が感じられましたし、その一声一声を明確に聞き分けることのできる解像度をもった世界(ホール)だからこそ、交わり響き合うシンフォニーが一層美しく感じられたのだと思います。

 そしてそれを受け取る客席の様子がまた素晴らしかったのです。お客様の心をそのように鷲掴みにして引き込むオーケストラがまず凄いのですが、今日の会場はいつにも増して、微かな音をも堪能する気持ちに、会場が一体となっているように感じました。「クラシックのコンサートは物音を立てちゃいけないから息苦しくて…」というお声もよく耳にしますが、強制された沈黙ではなく、音に引き込まれて皆が言葉を失い音に身を委ねているようなラストの静寂は、お客様とオーケストラがともに作り上げた最高の音空間だったように感じます。

 乱雑な音の中では掻き消されてしまいそうな繊細で小さな弱い声は、耳を澄ませばとても美しい調べだということがわかるし、そこにいる全員が大きな声をあげても、ここではそれが、耳を塞ぎたくなるような音ではなくて胸が沸き立つような迫力として感じることができる。それは、あたたかい大家族みたいなモーツァルトを聴く幸福感とはまた違った、でも、たとえ林檎や梨がもらえなくても、魚が向うから喜んでやって来なくても、幸せはこの音の世界にあるんだ、と思えるようなマーラーでした。(広報T)

Photo:K. Miura